2022.05.12

アトツギ物語青年期編独立編



■前回までのあらすじ

高校時代、先生に体罰を含め徹底的にいじめられたアトツギ君。大学に合格するも辞退し、父の会社に就職。

父の会社に入って経営コンサルタント見習いの立場でセミナーや社員教育を担当する。自分なりにデータ分析等も行ったりして、手前味噌だが段々と評判を呼ぶようになっていった。

そして、数年が経ち、いよいよ経営コンサルタントとしてデビューするときが来た。経営コンサルタントとしてデビューし、当時はまだ珍しかったメール集客を行い結果を出した。社内でも話題を呼び、社内のスタッフに対し、プレゼンを行うこととなった。

社内でのプレゼンも無事終わりに近づいたとき、別エリア担当MGが

「やっぱ会長(先代のこと)は凄いよね!こんだけのの次世代の仕掛けが分かってるんだもん!」

と、みんなの前で発言した。私は金属バットで後頭部を思いっきりぶん殴られた気分だった。

そのことがあってから私の心がモヤモヤしてる時に、クライアとの社長に追い打ちをかけられるように言われた。

「お父さんが早く死なないかなぁって思ったりするやろう」

もう私の心の中で何かが弾け、2代目を辞めたいと強く思うようになったのだった。



■2代目卒業に向け画策する日々

何とか会社を辞めて「2代目」を卒業したいと画策していた私は、その方法論をいくつか考えていた。

どう考えても辞表を出したところで辞めさせてもらえるわけが無い。そう考えると、物理的にどうにかして辞めないといけないと持っていくしか無い。

そこで、1つ考えたのが、大学に行くことだった。ただ、大学に行く目的が不純なため、あまり勉強はしたくなかった。その為、社会人入試枠があり、比較的勉強をしなくても入れる受験制度になっている大学を探した。

いくつかの私立大学が社会人枠があり、英語と小論文で入試を受けられた。

そのうちの1つの大学を受け、見事に合格した。

そして、大学に行くから会社を辞めさせて欲しいと先代に話しをしたものの、先代から

「大学行きながら仕事続けられるよな」

と、言われ、結局、会社を辞める事ができなかった…

そして、大学に通いながら、仕事も続けることになった。

仕事が終わってスーツ姿で授業を受けるときもあった。そんな時は、大学の職員さんに同僚と間違われ挨拶された。私も挨拶した(笑)

そして、大学に通いながら仕事も続けてると、1つのアイディアが浮かんできた。

どの道、すぐにさっと辞められないとするならば、一層のこと、コンサルの仕事も最低限やりながら別の仕事をしてはどうだろう?

そうすれば、大学、コンサルの仕事、新しい仕事と多忙になる。そしたら、コンサルの仕事を徐々に減らしていくことができるのではないだろうか?

そう思うようになっていった。

そして、大学2年生の時に、父にその構想を上手に話した。元々、ITの会社を作りたいと言っていたこともあり、納得して貰えた。

ただ、ここでも、

「コンサルの仕事もやりながらやれるよな」

と言われたが、これは予想の範囲内。

当然、笑顔で、

「もちろん!」

と、返したのだった。

そうして、大学、コンサル、IT会社の社長と3つのわらじを履いたのだった。

実際やってみると忙殺されてしまい、元々、大学はちゃんと勉強しようと思って通ってたわけではないので、大学を中退することになってしまった。

IT会社とコンサルの2足のわらじであれば、割と普通に忙しいぐらいの状態になり、そのまま数年が過ぎ去っていった。

しかしながら、意図的に徐々に徐々にコンサルの仕事を減らしていった。コンサルの仕事はどうしても私がやらないといけない仕事以外は当時のコンサルの部下や上司や先輩に上手に振っていった。

結果的に、完全にコンサルの仕事を完全に辞めるまでに約7年ほどかかったが、ようやく2代目さんを卒業することができた。とは言え、それでまは誰にも2代目卒業計画を話したことが無かったので、2代目さんあるあるをいっぱい経験させて頂いた。

私は2代目さんを卒業した。

ちなみにだが、父の後を継いだのは、副社長だった。その副社長も数年前に他界し、父が創業した会社は副社長が他界した後、残ったコンサルタントと私が何度か話をし数件まだ顧問契約があったので、そのクライアイントには担当しているコンサルとの契約に切り替えていただき、父の会社を私が自主廃業させた。

私の心の中で、これを以て、ようやく完全に父の会社から独立を果たした、そんな気持ちになった。

 



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