■泣いて馬謖を斬る
「泣いて馬謖を斬る」これは、三国志の中に出てくる有名な話で、どんなにかわいがっていても指示に背いた者、組織のルールを破った者、裏切り行為を行った者をトップは私情に負けることなく斬り捨てなければならないという意味です。
もし、諸葛(亮)孔明が私情に流され、丞相である自分の指示に従わずに山の上に陣を敷き戦に負けてしまったことを許してしまったら、どうなっていたでしょうか?
恐らく、指示に従わなくても許されるんだ!という空気が組織内に流れていき、言うことを聞かない部下ばかりになり、諸葛孔明は組織を統率できなくなっていたでしょう。
組織を統率できなければ、当然、内戦に陥り、蜀の国は早くに滅んでいたでしょう。
最終的に司馬(懿)仲達によって蜀は滅ぼされ、魏に併合されるわけですが、もっと早く蜀はこの世から消え去ってしまっていたでしょう。
■いい人だけではダメ
2代目・後継者・アトツギ(以下、アトツギという)は、人徳を身につけ人を惹き付ける力を身につけるべし!と、このブログで口を酸っぱくして言っているが、人徳といい人は意味が違います。
アトツギがいい人だけでは舐められてしまい、馬鹿にされてしまうことがあります。そうなると、人が付いてくるではなく、言うことを聞かなくなります。
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、頼朝に謀反を起こそうとした御家人にスパイとして送り込んだ上総広常を見せしめに斬ってしまいます。
頼朝から見たら、頼朝を舐めた態度を取ったことのある人物、今後、言うことを聞かなくなる可能性のある人間を斬った訳ですが、こうしなければ御家人の統率を取れなかった。
時代が時代とは言え、それだけ組織を統率すると言うことはなかなか難しいと言うことです。
■ロシア兵の士気
ウクライナ紛争においても同じのようなことが言えます。ウクライナの首都のキーウをロシア軍が簡単に墜とせなかったのは、NATOからの武器の提供など色々な理由があるとは思いますが、ロシア兵の士気の低さも挙げられます。
この士気の低さの原因は色々あると思いますが、その理由の1つにウクライナ軍がロシア軍の将校クラスを狙い撃ちして倒した為にロシア軍の士気が下がり、首都攻防戦で苦くもロシア軍を撤退に追い込んだわけです。
ロシア軍の将校クラスを狙い撃ちしてロシア兵の士気を下げたことは、逆説的ではありますが、アトツギが考えるべきは、いい人だけではダメで、ここぞと言うときに心を鬼にして犠牲を出してでも言葉では無く行動で示しをつけなければならないわけです。