■5月8日は母の日
私は数年前まで母の日には毎年、カーネーションを贈っていました。
しかし、数年前からカーネーションを贈るのを辞めました。
それはなぜか?
1つ目は母の痴呆がひどくなり、カーネーションを贈ってもカーネーションと言うことを理解したりしなかったりするようになったこと、
2つ目は母が私に残すであろう財産が、数千万円の負債になりそうだと言うことが分かったからです。
父が他界して14年が経ちましたが、父が他界してから母の管理を私がおろそかにしてたが為に起こった出来事なので、私がいけなかったんだと思い、その負債を背負うべく、今、準備をしているところです。
しかし、数千万円というのは、痛い。
会社を経営している身にとっては、会社経営以外の所で負債を背負うのは、あまりにも痛い。
だがしかし、私を産み育ててくれた母親だし、母親に文句を言っても始まりはないし。
そう、私は決めたのです。母の負債を背負うと。
でもやっぱり腹が立つ。なので、カーネーションを贈るのを辞めることにしたのです。
■アトツギとしての母
アトツギとしての母という意味では、あまりこれと言って何かをしてたわけではありません。
父も昔気質の性格でしたし、女は家に男は仕事にという家庭環境、価値観でした。
しかし、1つだけ覚えてることは、やたらとお父さんみたいになるんだよ!と言われ続けたことです。暴力的だった部分は除いてですが(笑)
確かに自社のスタッフからは神のごとく扱われ、クライアントからも非常に尊敬され、慕われている父でした。
また、父の8人兄妹に対しても徹底して支援し、大半の兄妹が生きていく上で必要最低限の生活ができる環境を父が整えました。
なので、父の兄妹は父には頭が上がらない感謝の気持ちでいっぱいという感じでした。1人の弟を除いては。
まぁ、そんな父だから母は外からは素敵な旦那様と言われ、あんなに暴力を振るわれたのに、自慢気でした(笑)
■九州男児の妻として
昔気質の九州男児の父は、家の中では絶対君主でした。白でも父が黒と言えば黒になるぐらい、絶対君主でした。
そんな昔気質の九州男児の父は、妻は家庭に入り、旦那を支え、子供を育てるのが当たり前だと言う人でした。
恐らく、最後の昭和の化石でしょう。
私の母は、人懐っこく、人とお話しするのが大好きで、じっとしてられない性格でした。
なので、気付けばご近所さんと井戸端会議。
父が休みなどで家にいるときはお昼ご飯の時間になっても帰って来ず、それが原因で喧嘩になり、ボッコボコにされるのでした。
母がボッコボコにされると、それから一週間は戒厳令が敷かれ、私を含め学校や塾、習い事以外では外出禁止になります。
従って私がいるときは、そこまで発展しないように、父のご機嫌を上手に取りながら、母にも父の世話をするように促し、家庭内紛争が勃発しないように空気を造ります。
こんな感じの家庭だったので、九州男児の妻としては、気楽にでも我慢強く生きていたのではないでしょうか。
ま、息子としては、もうちょっと父を上手に転がして欲しかったとこですが。
■アトツギにとっての母親とは
アトツギにとっての母親は、父の良き理解者であり、アトツギの私にとっての良き理解者でもあります。
アトツギと先代が喧嘩したときは、父の考えや悩みや苦労をそっと母としてアトツギに語ってくれたりします。
アトツギそれを聞いて先代と仲直りするきっかけを探し出したりします。
アトツギの母親とは、先代の妻であり、アトツギの母親であるという特殊な存在なのです。